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京都地方裁判所 昭和43年(わ)892号 判決

主文

被告人三名はいずれも無罪。

理由

第一、公訴事実

本件公訴事実は、

「被告人等は、いずれも京都市伏見区紙子屋五四四番地所在の伏見郵便局に勤務する郵政事務官(以下伏見局員と略称する)にして、被告人酒井隆は、全逓信労働組合(以下全逓と略称する)京都地区本部青年部常任委員、被告人山口茂は、全逓洛南支部青年部書記長、被告人畑勝昌は、全逓組合員であるが、全逓洛南支部伏見分会ではかねてより全逓を脱退して全日本郵政労働組合(以下全郵政と略称する)に加入した伏見局員に対して全逓復帰を求めたいわゆる組織復帰活動を執拗に行なつてきたところ、昭和四三年四月一五日午後零時五〇分頃、同郵便局郵便課外勤事務室において、被告人酒井が、全郵政伏見郵便局支部組合員金井正男(当二五年)を相手に将棋を指していた同組合員野村誠一に対して、組織復帰の説得を行なうため同人のかたわらに寄つた際、右金井の手にしていた煙草の灰が偶偶右の酒井の上衣の裾についたことから、被告人等は、これに言いがかりをつけて右金井に対して組織復帰を狙つたいやがらせをしようと企て、他数名と共謀のうえ、同日午後一時二五分頃までの間、右事務室において、右金井を取り囲み、同人に対して殊更その耳元に口を近づけ、力かぎり大声で口々に「謝れ」「馬鹿もん」「土下座せい」等と怒鳴つて両耳に強い音圧を加え、体当りし、腕或いは腰で押し、腕を引張り、足を蹴り、頭部を殴打し、尻をつねり、ロッカーに押しつける等の暴行を加え、もつて多衆の威力を示すと共に数人共同して暴行を加えたものである」

というのである。

第二、当裁判所が認定した事実

一、本件の背景ならびに本件当時における被告人三名および金井正男の地位

全逓信労働組合(以下、全逓という。)は、郵政省職員により組織された労働組合であつて、団体交渉再開闘争、非常勤本務化闘争等積極的に組合活動を行なつていたが、昭和三七年頃から主事、主任クラスを中心として第二組合結成の動きが出はじめ、昭和四〇年には全日本郵政労働組合(以下、全郵政という。)が結成されるに至つた。伏見郵便局においても、昭和四一年四月一九日全郵政伏見郵便局支部が主任クラスを中心として結成され、従前から活発に労働組合活動を行なつていた全逓洛南支部伏見分会と対立することとなつた。このように、同一職場に二つの労働組合が併存して対立することは、労働者の地位の向上、労働条件の改善にとつて大きな障害となることは明らかであつた。そこで全逓としては、管理者側によつてなされる全逓に対するさまざまな介入を排除しつつ、自らの団結を維持強化するため、全逓を脱退して全郵政に加入した労働者に対し、全逓への復帰を求める説得活動を行なう必要に迫られた。

本件は、被告人酒井、同山口が古島久実と共に、当時金郵政組合員であつた野村誠一に対して全逓復帰の説得活動を行なつていたところ、金井正男が説得活動をしている被告人酒井の上衣の裾にタバコの灰をつけたことがきつかけとなつて発生したものである。

本件発生の昭和四三年四月一五日当時、被告人酒井は全逓京都地区本部青年部常任委員、同山口は全逓洛南支部青年部書記長、同畑は全逓の一組合員であり、金井正男は全郵政伏見郵便局支部書記次長で書記長代行をしている者であつた。

(右事実は、〈証拠・略〉を総合してこれを認める。)

二、公訴事実記載の時点における被告人三名の行為ならびに公訴事実の存否

(一)1  昭和四三年四月一五日午後零時四〇分頃京都市伏見区紙子屋町所在の伏見郵便局郵便課外勤事務室六班作業室(以下、単に六班という。他の班についても同様、)付近(別紙①付近)において、金井正男が野村誠一と将棋をしていた。そこへ、被告人酒井、同山口、古島久実が近ずき、野村に対し、全逓へ復帰するよう説得を始めた。説得活動を始めて約三、四分経過した頃、金井が被告人酒井の上衣の右裾にタバコの灰をつけた。被告人酒井は、金井が全逓の復帰活動を快く思つていないので、説得活動を妨害するため故意にタバコの灰をつけたものと考え、金井に対して謝罪を要求した。ところが金井は右要求を無視するような態度をとつたため、被告人酒井は「なめているんか。」と言つて将棋盤をたたいた。ガチャンという音を聞いて上平郵便課長、幅郵便副課長および被告人畑外全逓組合員数名がその場にかけつけた。上平郵便課長が休憩室へ行くように命じ、被告人酒井は金井に対し、「休憩室で話をしよう。」と言つた。そこで金井は六班付近を離れた。

2  六班付近を離れた後、被告人酒井は金井が休憩室に行つたものと考え、休憩室の方へ行つたが見当らなかつたため、同所から南の方へ行つたところ、一班南端付近にいる金井を発見した。そこで被告人酒井は金井に対し、「休憩室で話をしよう。」と言つたところ、金井は「話をする必要はない。」といいながら被告人酒井の方へ近ずき、別紙(2)付近で止つた。同所で、被告人酒井、同畑、同山口のほか二、三名の全逓組合員が金井をとり囲み、同人に対して口々に「休憩室へ行こう。」「謝れ。」等と言つた。金井は、突然肘を前に出しておおいかぶさるような形で被告人畑に向つて体当りをし、次いで被告人酒井に向つて体当りをし、右両名はその場に仰向けに転倒した。

3  金井は尻餅をついている被告人酒井の横を通り、便札机の西側(別紙③付近)へ行き、さらに傘立付近(別紙④付近)に移動した。その間被告人酒井、同山口、同畑外四、五名の全逓組合員が金井の周囲をとり囲み、同人に対して口々に、「休憩室へ行つて話をしよう。」「謝れ。」等と大きな声で言つた。

4  次いで、金井は主事席内(別紙⑤付近)に入り、勤務指定表を見ていた。金井に続いて被告人酒井、同山口、同畑、丸山真一の四名が主事席内に入つた。同所でも被告人らは金井の周囲をとり囲み、同人に対して口々に、「休憩室で話をしよう。」「謝れ。」と大きな声で言つた。そこへ清水労務担当主事が来て、「金井、出て来い。」と言つて金井をひつぱり出した。

5  主事席内から出た金井は、休憩室に入り、別紙⑥付近に座つた。被告人酒井は金井の正面に座り、同人に対し、タバコの灰をつけたことおよび体当りをして倒したことについて釈明を求めるとともに謝罪を要求した。それに対し、金井はしばらくの間は黙つて座つていたが、急に「話をする必要はない。」と言つて立上り、別紙⑦付近に行つた。そこで被告人酒井、同山口、同畑外全逓組合員約五名が金井をとり囲み、同人に対して口々に、「座つて話をしろ。」「謝れ。」と大きな声で言つた。その際、被告人らは話し合いを拒否して立ち去ろうとする金井につめ寄り、被告人酒井、同畑外約三名の全逓組合員の身体が金井の身体と接触し、同人を押したが、その程度は極めて軽微であり強烈さはなかつた。

(右1ないし4の事実は〈証拠・略〉をそれぞれ総合してこれを認める。)

(二)  検察官は、被告人らが前記公訴事実に記載されたような態様の暴行を加えた旨主張し、〈証拠・略〉の各供述部分には右主張に沿う記載がある。

そこで、前記(一)1ないし4の事実認定に用いた各証拠(以下、前掲各証拠という。)と照合しつつ、右各供述部分の信用性について検討する。

本件については、被害者と目されている金井正男の供述の信用性が重要な意味を有するのであるが、右金井の各供述部分は、主尋問に対しては明確に答えているものの、反対尋問で前の供述を訂正したり、あいまいな答に変えたり、前の供述と明らかに矛盾することを述べたりしている点が多いのみならず、各供述部分から窺われる同人の捜査官に対する供述とも矛盾する点がある。そのうえ、医師西村二郎の検察官および司法警察員(謄本)に対する各供述調書に照して考慮すると、結局金井の各供述は、全逓の組合員に対する嫌悪の情から、自己の受けた被害をことさらに誇張して述べているものといわざるを得ず、とうてい信用することができない。

次に、右上平の各供述部分によると、上平は便札机西側付近および傘立付近の状況を詳細に述べている。しかしながら、上平の供述に前掲各証拠および証人古田八州男の当公判廷における供述を総合すると、金井をとり囲んでいる一団は同所付近で移動していること、上平の前には同人より身長の高い西川、白井が立ちはだかつていること、上平は右両名および古田八州男と押問答をしながら金井をとり囲んでいる全逓組合員の背後から目撃したことが認められる。従つて上平が被告人らの具体的な行動を詳細に目撃できたのかどうかきわめて疑問であり、便札机および傘立付近の状況に関する同人の供述はにわかに信用できない。

次に、右幅の供述部分のうち、便札机西側付近、傘立付近、および主事席内の状況に関する供述によると、同人は金井をとり囲んでいる全逓組合員の背後から目撃していることが認められるうえ、主事席内における金井の位置について前記(一)4認定の位置とは異なる供述をしていること(金井自身も勤務指定表を見ていた旨供述している。)を合わせ考えると、必ずしも全面的には信用することができない。同人の供述からは被告人ら全逓組合員数名が金井をとり囲んでその周辺で大きい声を出していたという事実が認められるに止まり、被告人らの身体が金井の身体と密着していたとか、被告人らが金井の顔のすぐ近くに口を近ずけていたが、金井の肩や頭が担務指定板に当つてガチャンガチャンと音がしていた等の供述は、前掲各証拠に照しにわかに信用できない。また、右幅の供述によれば、同人は警察官に対しては一班付近の状況を供述していないこと、および本件発生後管理者間で話し合つた際一班付近での出来事の順序について管理者間に認識の相異があつたことが推認される。従つて、同人の一班付近の状況に関する供述は、同人が自ら目撃した事実をそのまま述べているかどうか疑わしく、前掲各証拠に照しにわかに信用できない。

次に、右橋本の各供述部分のうち、主事席内の状況に関する供述によると、同人は金井をとり囲んでいる全逓組合員の背後から目撃しており、しかも、同人と金井との間には五、六名の人がいたこと、同人は西川および白井と押問答をしていたこと、同人は金井が主事席内から出て行つた状況を全く目撃していないことが認められる。従つて、同人の供述からは、被告人酒井外数名が主事席内で金井をとり囲んで大きい声を出していたことが認められるにすぎないものといわざるを得ない。なお、同人の供述部分のうち、一班付近の状況に関する供述は、それ自体あいまいであるのみならず、同人が西川および白井と押問答している時に一時的に見たというのであつて、金井および被告人酒井が一班付近にいるのを見た旨の供述は、前掲各証拠に照し信用できない。

最後に、前記上平、幅、橋本の各供述部分のうち、休憩室内での状況に関する部分の信用性について検討する。右三名の供述には前記のように信用できない部分がかなりあること、同人らは金井をとり囲んでいる全逓組合員の背後から目撃していること、また、休憩室内での状況について右上平は具体的に名前を挙げてそれぞれの行為を詳細に供述しているけれども、同人の供述から窺われる同人の捜査官に対する供述とかなりくいちがいが存することが推認されること等を合わせ考えると、右三名の各供述は必ずしも全面的に信用することはできない。しかしながら、司法警察員作成の検証調書抄本により認められる別紙⑦付近の状況および同所で被告人三名外約五名の全逓組合員が金井をとり囲んで同人につめ寄つた事実を総合すると、被告人酒井、同畑外約三名の全逓組合員の身体が金井の身体と接触したものと認めざるを得ず、その限度で前記三名の各供述部分を信用することができる。

結局、被告人らは別紙③④⑤⑦の各地点付近で金井をとり囲んで口々に「謝れ。」「話をしよう。」等と大きな声で言つた事実、および別紙⑦付近で被告人三名外全逓組合員約五名が金井をとり囲んで同人につめ寄つた際被告人酒井、同畑外約三名の全逓組合員が若干右金井と接触して同人を押した事実が認められるけれども、その程度は格別強度のものではなく、むしろ軽微なものであつて、公訴事実にいうような態様、即ち、殊更耳元に口を近ずけ力かぎり大声で怒鳴つて両耳に強い音圧を加え、体当りし、腕を引張り、足を蹴り、頭部を殴打し、尻をつねり、ロッカーに押しつける等の暴行を加えたとの事実は認められない。

第三、被告人らの行為に対する法的評価

一、前記認定の被告人らの行為のうち、被告人らが金井をとり囲んで口々に「謝れ。」「話をしよう。」等と大きな声で言つたという点は、被告人らが殊更耳元に口を近ずけて力かぎり大声で怒鳴り金井の耳に強い音圧を加えたという事実が認められないのであるから、未だ有形力の行使ということはできず、外形的にみてもいわゆる集団的暴行罪の構成要件に該当するものとは認められない。しかしながら、被告人らが金井をとり囲んで同人につめ寄つた際、金井と接触して同人を押したという点は、外形的には一応いわゆる集団的暴行罪の構成要件に該当するような外観を呈している。

二、ところで、犯罪は刑罰をもつてのぞむべき違法な行為について成立するものであり、犯罪の構成要件は刑罰に値する違法行為を類型化したものである。それ故、形式的には一定の構成要件に該当するような外観を呈している行為でも、行為の態様、法益侵害の程度等からみて、その構成要件が予定する違法性を有しないときには、実質的にはその構成要件に該当しないと判断される場合もあり、あるいは、構成要件に該当すると判断される行為でも、可罰的程度の実質的違法性を欠くため違法性が阻却されて罪とならないと判断される場合もあるであろう。

三、右の観点に立つて、前述の被告人らが金井を押した行為を検討するに、被告人らは力をこめて意図的に金井を押しつけたというのではなく、話し合いを拒否して立ち去ろうとしている金井に抗議してつめ寄つた際に身体が接触したというのであるから、その有形力行使の程度は格別強度のものではなく、むしろ、軽微なものであり、前言第二、一に認めたような本件の背景および本件発生の端緒ならびに第二、二(一)に認めたような金井のとつた態度からみて、被告人らが右のような行為に出ることは無理もなかつたと思われ、しかも、それは憲法二八条で保障された勤労者の団結権に立脚した行為とみられ、その目的は正当であり、その手段においてもとりたてていうほどの悪らつ性、粗暴性はなく、社会通念上処罰を相当とするほどの行為であるとは認められない。

従つて、被告人らの右の行為は暴力行為等処罰に関する法律一条一項、刑法二〇八条に定めるいわゆる集団的暴行罪をもつて処断すべき程度の違法類型にあたらないので、実質的には、未だその構成要件に該当せずいわゆる可罰的違法性がないものと解すべきである。

第四、弁護人の公訴棄却の申立に対する判断

弁護人は、「本件は、被告人らが組織復帰活動を妨害した金井に対して抗議活動を行なつただけであつて、暴力行為は何一つ存在せず、罪とならないことが明らかであつたにもかかわらず、検察官が、被告人らの団結権行使を犯罪視し、全逓の組織破壊の目的をもつて、強制捜査権を濫用してあえて不当な捜査を行ない、かつ、起訴したものである。従つて、本件公訴提起は憲法一四条、二八条、刑事訴訟法一条、二四八条等に違反し、公訴権を濫用したものであるから公訴を棄却すべきである。」旨主張するので、その点について判断する。

現行刑事訴訟制度上、公訴提起の権能は原則として検察官の独占するところとされ、起訴するか否かについても検察官の広い裁量に委ねられているところである。しかし、右裁量について恣意の許されないことはいうまでもないところであるから、全く犯罪の嫌疑のないことが明白であるのにことさらに公訴を提起し、また起訴猶予を相当とすべき明白な諸事情があるのに故意に起訴したことが客観的に明白である等検察官の公訴提起それ自体が違憲、違法と認められ公訴権の濫用にわたる場合には、公訴提起の手続に違反するものとして公訴棄却の判決をすべきものというべきである。

そこで、本件について考えるに、弁護人の前記主張は本件が犯罪の嫌疑なくして起訴されたものであるという前提に立つているのであるから、当裁判所としては、公訴事実そのものの実体的審理を通じ、そこにあらわれた諸般の資料を総合勘案した結果に基づいて、公訴提起の合法、違法を判断せざるを得ない。そして右資料によれば、本件公訴提起の時点において犯罪の嫌疑を一応十分ならしめる証拠が存在していたことが推認され、それらの証拠に基づいて本件公訴を提起したことが前記裁量権の範囲を逸脱し常軌を逸したものであるとは言い難い。また、本件において公訴権が検察官に認められた本来の目的と異なる意図をもつて行使されたものと断定するに足る資料はなく、その他本件公訴提起が公訴権の濫用であるとすべき合理的理由を発見し得ない。

従つて、弁護人の前記申立は採用することができない。

第五、結論

以上のとおりであるから、本件公訴事実は、そのいうほどの犯罪行為たる証明がなく、また第二、二、(一)に認定した行為にとどまる限り、それは罪とならないものであるから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(森山淳哉 梶田寿雄 赤木明夫)

(別紙)略

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